前向きな瞳


写真家の方と話すのは、いつだって心地いい。 

機材や構図のことなど、専門的な話をするのも勿論好きだけど、
フィルムが高くなりましたね、とか、
カメラ入れてるカバンが重すぎて大変!なんて、
たわいもない話をするのがとても楽しい。

そして、話の合間に、相手の方が何かに惹かれ、
シャッターを切る瞬間を見るのは、たまらなく好きだと思う。


先日、写真家のPさんとカメラを持ってお散歩した時のこと。
自由が丘の、ある脇道に入ったら、大きなハナミズキの木があった。
私は、きれいだな、と思ったけれど、
うまく撮れる気がしなくて、ボンヤリしていた。
その横でPさんは、ブロニカで静かに集中して、撮影されていた。

後日、PさんがFacebookにその時の写真をアップされていたのだけど、
それは、それは、とても素敵な写真で心が動かされた。
ハナミズキが活き活きと躍動し、 まるで空と遊んでいるみたいだった。

あの時、確かに同じものを見ていたはずなのに、
Pさんからは、こう見えていたの?
ショックにも似た感動があった。 
文字通り、言葉が出なかった。

なんで、あの時、 上手く撮れるか撮れないかを考えていたのだろう。
私はなんで、あの時の「きれいだな」を、
心の奥のほうにしまっちゃったんだろう。

写真を撮る、という、シンプルな行為に、
あれやこれやと理屈をつけていくうちに撮れなくなったりするのは、
よくあること。
そして、それはやはり、 もったいないことだと思う。

きれいなものはたくさんあるけれど、
そのとき瞳に写った”きれい”は、そのとき限りのもの。

きれいだな、好きだな、撮りたいな、と思ったときは、
躊躇なく、シャッターを押せる自分でいたい。

Pさんがハナミズキに向けていた、
前向きな瞳で、いたいと思う。






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